サンタ・フリアナ聖堂・回廊
2013年6月11日
サンタ・フリアナ聖堂の回廊は僧院の左手奥が入口で有料である。ロマネスクに関心のある者なら、回廊は見学しなければならない。私も聖堂から回廊に入る。
池田健二著[スペイン・ロマネスクへの旅」によれば、 サンタ・フリアナの歴史は9世紀にさかのぼるようだ。カンタブリア海沿岸に近い地理上の位置から見て、地域に本格的なイスラムの支配はなかったとみられる。現存する聖堂建築は12世紀中頃から後半にかけてのもの。回廊建築はやや遅れて12世紀末から13世紀初頭に建設された。
回廊の柱頭彫刻については、同じく池田本の解説を借りよう。
「49の柱頭に刻まれた浮彫は植物文様が主体で、その造形は豪放磊落である。パルメット唐草、動物唐草、蔓草文様、編籠文様。どの浮彫りを見ても鑿さばきは大胆であり、何の迷いもない。」
「柱頭のなかには説話的な浮彫りを刻むものもある。義人の魂を悪魔から守る天使たち、天使と共に竜と戦う戦士、ライオンと戦うサムソン、貴婦人に忠誠を誓う騎士、十字架降下、獅子の穴のダニエル。植物文様の柱頭のなかに点在するこれらの説話的な柱頭でも、彫刻家の自由闊達な仕事ぶりは変わらない。末期を迎えた芸術は美の根源にある生命を失いがちなものであるが、この回廊の柱頭にはその気配がまったくない。」
文中の「末期を迎えた芸術」とはロマネスク芸術のこと。ここの回廊彫刻には末期の芸術が持つ繊細さと生命力がたしかに同居している。しかも49の柱頭彫刻のすべてがオリジナルとみられ、オリジナル彫刻がもつ悩ましい問題、すなわち摩耗・風化が進みレプリカに置き換えた方がいいのではないかという点を免れているところも立派である。
軒下持ち送り彫刻 ⑦

軒下持ち送り彫刻 ⑧

軒下持ち送り彫刻 ⑨

聖堂のロマネスク窓 多くのロマネスク窓がこのように左右2本の支柱とアーキヴォルトに囲まれている。
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ロマネスク窓周辺の柱頭彫刻 ③

柱頭彫刻ではないが、これもロマネスク窓周辺の彫刻。

聖堂壁面にあった紋章彫刻 僧院(修道会)の紋章では(?)。

ここからは回廊内部の彫刻。

回廊内部の怪鳥の彫刻

角のコーナーの天井彫刻

回廊内部に置かれた彫刻 本来ここにあったものではなく、何処かにあったものが展示されているという印象を受けた。

回廊はほぼ正方形の内庭3面(1面は失われている)に49本の柱頭彫刻をもつ大ぶりな支柱が並んでいる。

回廊彫刻 ①

回廊彫刻 ②

回廊彫刻 ③

回廊彫刻 ④

回廊彫刻 ⑤

回廊彫刻 ⑥

回廊彫刻 ⑦

回廊彫刻 ⑧

回廊彫刻 ⑨

「近頃読んだ本」 2
上野千鶴子 著 「ひとりの午後に」
朝刊を定期購読しなくなって5年以上になる。新聞の字が読めないわけではないが疲れる。それと毎日知るべきニュースがあるわけではないのに、毎日定量のニュースを届けられるシステムに、情報管理されている弊害も感じていたのが新聞をやめた理由だ。ただ土曜日だけは朝刊を一紙コンビニで買う。週間のテレビ番組表が掲載されているため。その昔、テレビの普及を「一億総白痴化」と言ったのは大宅映子の父・評論家大宅壮一だ。少年の私は過激なことを言うなと思ったものだが、大企業が広告を打つかたちで資金を提供している民放のニュース番組は情報操作の最たるものだ。その点、視聴料を払っているNHK、代金を払って買う新聞はまだいいか。
その新聞には書評欄もあるし人生相談欄もある。「人生相談」の回答者は美輪明宏、上野千鶴子など多彩。とくにジェンダー学者・上野女史の回答はもつれた状況を外科医のように切り分け、あるべき方向を示す。その方向は「独立自存」か、福沢諭吉のようだが。ご自分では「お一人様評論家」と世間は言っているとか。その人のエッセイ集。率直に自己を語っているので、いい本です。ただ、文章がいいかどうかは不明。もともと論文を書いて来た人、論文、判決文、報告書などは曖昧な表現を避け、明快で論理的な表現が不可欠。自分を語るために、より具体的に書き込んだ結果、読み手が想像力を働かす範囲が狭くなっている気も少しする。
サンタ・フリアナ聖堂の回廊は僧院の左手奥が入口で有料である。ロマネスクに関心のある者なら、回廊は見学しなければならない。私も聖堂から回廊に入る。
池田健二著[スペイン・ロマネスクへの旅」によれば、 サンタ・フリアナの歴史は9世紀にさかのぼるようだ。カンタブリア海沿岸に近い地理上の位置から見て、地域に本格的なイスラムの支配はなかったとみられる。現存する聖堂建築は12世紀中頃から後半にかけてのもの。回廊建築はやや遅れて12世紀末から13世紀初頭に建設された。
回廊の柱頭彫刻については、同じく池田本の解説を借りよう。
「49の柱頭に刻まれた浮彫は植物文様が主体で、その造形は豪放磊落である。パルメット唐草、動物唐草、蔓草文様、編籠文様。どの浮彫りを見ても鑿さばきは大胆であり、何の迷いもない。」
「柱頭のなかには説話的な浮彫りを刻むものもある。義人の魂を悪魔から守る天使たち、天使と共に竜と戦う戦士、ライオンと戦うサムソン、貴婦人に忠誠を誓う騎士、十字架降下、獅子の穴のダニエル。植物文様の柱頭のなかに点在するこれらの説話的な柱頭でも、彫刻家の自由闊達な仕事ぶりは変わらない。末期を迎えた芸術は美の根源にある生命を失いがちなものであるが、この回廊の柱頭にはその気配がまったくない。」
文中の「末期を迎えた芸術」とはロマネスク芸術のこと。ここの回廊彫刻には末期の芸術が持つ繊細さと生命力がたしかに同居している。しかも49の柱頭彫刻のすべてがオリジナルとみられ、オリジナル彫刻がもつ悩ましい問題、すなわち摩耗・風化が進みレプリカに置き換えた方がいいのではないかという点を免れているところも立派である。
軒下持ち送り彫刻 ⑦

軒下持ち送り彫刻 ⑧

軒下持ち送り彫刻 ⑨

聖堂のロマネスク窓 多くのロマネスク窓がこのように左右2本の支柱とアーキヴォルトに囲まれている。

ロマネスク窓周辺の柱頭彫刻 ③

柱頭彫刻ではないが、これもロマネスク窓周辺の彫刻。

聖堂壁面にあった紋章彫刻 僧院(修道会)の紋章では(?)。

ここからは回廊内部の彫刻。

回廊内部の怪鳥の彫刻

角のコーナーの天井彫刻

回廊内部に置かれた彫刻 本来ここにあったものではなく、何処かにあったものが展示されているという印象を受けた。

回廊はほぼ正方形の内庭3面(1面は失われている)に49本の柱頭彫刻をもつ大ぶりな支柱が並んでいる。

回廊彫刻 ①

回廊彫刻 ②

回廊彫刻 ③

回廊彫刻 ④

回廊彫刻 ⑤

回廊彫刻 ⑥

回廊彫刻 ⑦

回廊彫刻 ⑧

回廊彫刻 ⑨

「近頃読んだ本」 2
上野千鶴子 著 「ひとりの午後に」
朝刊を定期購読しなくなって5年以上になる。新聞の字が読めないわけではないが疲れる。それと毎日知るべきニュースがあるわけではないのに、毎日定量のニュースを届けられるシステムに、情報管理されている弊害も感じていたのが新聞をやめた理由だ。ただ土曜日だけは朝刊を一紙コンビニで買う。週間のテレビ番組表が掲載されているため。その昔、テレビの普及を「一億総白痴化」と言ったのは大宅映子の父・評論家大宅壮一だ。少年の私は過激なことを言うなと思ったものだが、大企業が広告を打つかたちで資金を提供している民放のニュース番組は情報操作の最たるものだ。その点、視聴料を払っているNHK、代金を払って買う新聞はまだいいか。
その新聞には書評欄もあるし人生相談欄もある。「人生相談」の回答者は美輪明宏、上野千鶴子など多彩。とくにジェンダー学者・上野女史の回答はもつれた状況を外科医のように切り分け、あるべき方向を示す。その方向は「独立自存」か、福沢諭吉のようだが。ご自分では「お一人様評論家」と世間は言っているとか。その人のエッセイ集。率直に自己を語っているので、いい本です。ただ、文章がいいかどうかは不明。もともと論文を書いて来た人、論文、判決文、報告書などは曖昧な表現を避け、明快で論理的な表現が不可欠。自分を語るために、より具体的に書き込んだ結果、読み手が想像力を働かす範囲が狭くなっている気も少しする。
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