ア・コルーニャの大燈台へ
2012年6月21・22日
2,3年前のことではなく10年前のことなので、記憶が定かでないのだが、たぶん6月21日の午後、ア・コルーニャの町に帰り着いたときは夕方になるような時間帯に、町から2キロ余り離れて、半島の岸辺というより丘の上に建つ大灯台を訪ねた。
大灯台は18世紀に修復・再建されたもので高さは55メートル、下部の34メートルはローマ時代からのものということらしいが、外観上、上部と下部を識別できるものはなく訪問者が目にするのは、18世紀の新古典主義の端正なフォルムをもつ四角形(上の灯火部分は八角形)の塔である。
一定程度の高さまで登ることができ、そこから周囲を見渡すことができるが、当然のことながら内部にエレベーターはなく階段を上る。私もそれをした。
歴史的な建造物という意味では、下部の2世紀(ローマ期)ごろからの部分が重要になるが、わけても礎石部分が相対的に細く高い塔を支えるものとして重要になる。実際に、現在は発掘調査的に地下に掘り下げて、初期の燈台の礎石部分を公開している。
大燈台は「ヘラクレスの塔」と呼ばれたりするが、これは全く現代の命名で、長く「ブリガンティウムの塔」と呼ばれてきたようだ。ブリガンティウムは「ガリシア」の古名ということらしい。もっとも、ブリガンティウムはラテン語の発音なので、古代のガリシア人たちが自分たちの土地をそう呼んでいたわけではあるまい。それはガリアにしてもブリタニアにしても同じだが。
もう一つ、大燈台「ヘラクレスの塔」周辺で注目すべきは、お土産物店・レストラン・カフェなど、あれば繁盛するであろう商業施設が何もないことである。独裁者フランコ時代またはそれ以前の時代からの継続なのかもしれないが、それはそれで立派なことである。
また、ア・コルーニャの町から大燈台までは海岸沿いに広い遊歩道とサイクリングロードが設置され、燈台への歩いての往復を心地よいものにしている。
大燈台への道は、まずア・コルーニャ郊外の海水浴場脇を通る。

海岸通りの広い遊歩道 レンガ色の大きめの街灯が立っているが、そこにはエマーユ風の絵がはめ込まれている。

街灯にはめ込まれた絵の作者を紹介するプレート。 上の画像、海側にある手すりの並びの中央部分に設置されている。

街灯にはめこまれている絵 ① 紹介プレートでは500の数字があったが500個あったか、100個はあった気がするが。

街灯にはめこまれている絵 ② 海側に手すりが見えている。高さは1、5メートルほど、縦の楕円形のフレーム。

街灯にはめこまれている絵 ③ 海の生き物と女性の顔の組み合わせが多い。

街灯にはめこまれている絵 ④

街灯にはめこまれている絵 ⑤

海が見える緑の大地にあった慰霊のモニュメント。 スペイン内戦のとき亡くなった共和国派の人々を悼むもの。近くに座っていた女性がそう言ったと思う。フランコ時代以後のもの。読めなかったが、石に何か刻んである。

大燈台が見え始めた。見ての通り、付近に商業施設らしいものはなく緑の大地が広がる。

このモニュメントは大燈台が見える場所にあった気がする。 特別なメッセージはないと思う。スペインにもある巨石文化を連想させるもの。

大理石の大きな羅針盤か。このモニュメントは大燈台の近くにあった。

ア・コルーニャの大燈台。 外観は18世紀ごろの建造物。

燈台内の上に登る階段。 この部分は昔からのもののようだ。

大燈台からの展望。

ここからは大燈台の台座から地下にかけての部分。 ローマ時代の建造物か(?)。

通路といくつかの小室がある。 燈台の明かりは、昔は灯油。この付近に置かれていた灯油の壺を、ローマ人のことだからと担いで上に持っていかず、何らかの手法で上に引き上げていたか?。

上の2枚に写っているどこかの構造物の壁。 古い時代のものだと思えば、なんとなく見る価値があると思い、しばらく立ち止まった。

台座付近またはその地下の考古学的な保存部分。 保存されていた昔の台座部分。

発掘された昔の燈台の基礎部分。

帰るとき撮影した燈台のシルエット。

「近頃(再び)読んだ本」
是枝 裕和 著 「雲は答えなかった」 PHP文庫
この欄はロマネスク関連、西ヨーロッパ中世史、最大枠を広げてヨーロッパ文化に影響を受けた人々の著作を取り上げてきたのだが、この本はちょっと例外。あえてヨーロッパ関連で言えば、カンヌやヴェネツィアで近年よく受賞する映画監督が30年ほど前に出版したドキュメンタリー本である。
著者は、最初テレビのドキュメンタリー番組制作のため福祉関連の(高級)官僚にかかわり、その生涯を追ったようだ。この本は、さらにその人物の幼少期から死までを丹念に振り返ったものである。関係者からの聞き取りや文字資料を丁寧に当たりながら、その視点は巨視的かつ多角的である。 現在、著者が「そして父になる」「誰も知らない」「海街diary」「万引き家族」その他で、世界的な映画監督になっているのも、この観察力と人への共感性あればこそ、である。
一か月ほど旅に出るため、旅の準備とその後の休養のため、しばらくブログを休みます。再開は7月下旬の予定です。
2,3年前のことではなく10年前のことなので、記憶が定かでないのだが、たぶん6月21日の午後、ア・コルーニャの町に帰り着いたときは夕方になるような時間帯に、町から2キロ余り離れて、半島の岸辺というより丘の上に建つ大灯台を訪ねた。
大灯台は18世紀に修復・再建されたもので高さは55メートル、下部の34メートルはローマ時代からのものということらしいが、外観上、上部と下部を識別できるものはなく訪問者が目にするのは、18世紀の新古典主義の端正なフォルムをもつ四角形(上の灯火部分は八角形)の塔である。
一定程度の高さまで登ることができ、そこから周囲を見渡すことができるが、当然のことながら内部にエレベーターはなく階段を上る。私もそれをした。
歴史的な建造物という意味では、下部の2世紀(ローマ期)ごろからの部分が重要になるが、わけても礎石部分が相対的に細く高い塔を支えるものとして重要になる。実際に、現在は発掘調査的に地下に掘り下げて、初期の燈台の礎石部分を公開している。
大燈台は「ヘラクレスの塔」と呼ばれたりするが、これは全く現代の命名で、長く「ブリガンティウムの塔」と呼ばれてきたようだ。ブリガンティウムは「ガリシア」の古名ということらしい。もっとも、ブリガンティウムはラテン語の発音なので、古代のガリシア人たちが自分たちの土地をそう呼んでいたわけではあるまい。それはガリアにしてもブリタニアにしても同じだが。
もう一つ、大燈台「ヘラクレスの塔」周辺で注目すべきは、お土産物店・レストラン・カフェなど、あれば繁盛するであろう商業施設が何もないことである。独裁者フランコ時代またはそれ以前の時代からの継続なのかもしれないが、それはそれで立派なことである。
また、ア・コルーニャの町から大燈台までは海岸沿いに広い遊歩道とサイクリングロードが設置され、燈台への歩いての往復を心地よいものにしている。
大燈台への道は、まずア・コルーニャ郊外の海水浴場脇を通る。

海岸通りの広い遊歩道 レンガ色の大きめの街灯が立っているが、そこにはエマーユ風の絵がはめ込まれている。

街灯にはめ込まれた絵の作者を紹介するプレート。 上の画像、海側にある手すりの並びの中央部分に設置されている。

街灯にはめこまれている絵 ① 紹介プレートでは500の数字があったが500個あったか、100個はあった気がするが。

街灯にはめこまれている絵 ② 海側に手すりが見えている。高さは1、5メートルほど、縦の楕円形のフレーム。

街灯にはめこまれている絵 ③ 海の生き物と女性の顔の組み合わせが多い。

街灯にはめこまれている絵 ④

街灯にはめこまれている絵 ⑤

海が見える緑の大地にあった慰霊のモニュメント。 スペイン内戦のとき亡くなった共和国派の人々を悼むもの。近くに座っていた女性がそう言ったと思う。フランコ時代以後のもの。読めなかったが、石に何か刻んである。

大燈台が見え始めた。見ての通り、付近に商業施設らしいものはなく緑の大地が広がる。

このモニュメントは大燈台が見える場所にあった気がする。 特別なメッセージはないと思う。スペインにもある巨石文化を連想させるもの。

大理石の大きな羅針盤か。このモニュメントは大燈台の近くにあった。

ア・コルーニャの大燈台。 外観は18世紀ごろの建造物。

燈台内の上に登る階段。 この部分は昔からのもののようだ。

大燈台からの展望。

ここからは大燈台の台座から地下にかけての部分。 ローマ時代の建造物か(?)。

通路といくつかの小室がある。 燈台の明かりは、昔は灯油。この付近に置かれていた灯油の壺を、ローマ人のことだからと担いで上に持っていかず、何らかの手法で上に引き上げていたか?。

上の2枚に写っているどこかの構造物の壁。 古い時代のものだと思えば、なんとなく見る価値があると思い、しばらく立ち止まった。

台座付近またはその地下の考古学的な保存部分。 保存されていた昔の台座部分。

発掘された昔の燈台の基礎部分。

帰るとき撮影した燈台のシルエット。

「近頃(再び)読んだ本」
是枝 裕和 著 「雲は答えなかった」 PHP文庫
この欄はロマネスク関連、西ヨーロッパ中世史、最大枠を広げてヨーロッパ文化に影響を受けた人々の著作を取り上げてきたのだが、この本はちょっと例外。あえてヨーロッパ関連で言えば、カンヌやヴェネツィアで近年よく受賞する映画監督が30年ほど前に出版したドキュメンタリー本である。
著者は、最初テレビのドキュメンタリー番組制作のため福祉関連の(高級)官僚にかかわり、その生涯を追ったようだ。この本は、さらにその人物の幼少期から死までを丹念に振り返ったものである。関係者からの聞き取りや文字資料を丁寧に当たりながら、その視点は巨視的かつ多角的である。 現在、著者が「そして父になる」「誰も知らない」「海街diary」「万引き家族」その他で、世界的な映画監督になっているのも、この観察力と人への共感性あればこそ、である。
一か月ほど旅に出るため、旅の準備とその後の休養のため、しばらくブログを休みます。再開は7月下旬の予定です。
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