補遺 2 ~エナからサンタ・クルス・デ・ラ・セロスへ~

                                  2016年6月24・25日


 
 6月24日、小さな村エナを出て歩き出した。エナは行き止まりの村で、昨日は村の背後(南側)から、歩道をたどって着いたのだが、きょうは狭いながら車道を歩いている。
 1時間ほど歩いたところで、これも小さな村ボタヤに着いた。ボタヤには彫刻のある半円のタンパンだけが壁にはめ込まれた建物があった。私はこれを村の聖堂の一つと思ったのだが、今、グーグルアースを見ると同じような地点に「お化け屋敷」という建物がある。「お化け」とはスペイン語の直訳なんだろうが、どんな建物だったのだろう。壁にタンパンのある建物とは別物とは思うが。
 ボタヤを出てしばらく行くと、左手にペーニャ山塊の頂上部へ向かう歩道があるはずなので、その入り口を見落とさないように気をつけて歩く。無事歩道に入り、谷をつめてペーニャ山塊の頂上付近に達する。
 ここで小休止して一眼レフを出し、登って来た谷を撮影。(その画像は本文にある) そして平坦な林の中をしばらく歩くと、突然新しく大きな建物が出現した。4つ星の修道院ホテル「オスぺデリア モナステリオ サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ」である。    名前だけ修道院=モナステリオで、実際はホテルなのだろうと思っていたが、施設はかなり修道院らしい造り。脇を通っただけなので詳細はわからないが、主要部は修道院(聖堂)のように見えた。
 ただ近隣に村はないので聖堂に参拝するのは宿泊者の一部だけだと思うのだが。その辺はキリスト教関係者の現実を直視したくない願望みたいなものも入っているかもしれない。
 コンパクトカメラの画像の並びが狂って後方に飛んでいたのはここまでで、以後は本文をまとめるときにもあったものだが、ペーニャ修道院のところでは、ほとんど一眼レフの画像を用いて陽の目を見なかった。
 ここでは、あの傑作ぞろいだった修道院のロマネスク彫刻を別のレンズで捉えたものを見ていたいただき、最後に翌25日朝、サンタ・クルスから下の国道に行く途中で目にした農村風景を添える。
 歩いて旅をすることは、人々の営みを落ち着いて観ることができ、それだけで旅心が満たされるところがある。



     ボタヤの壁にあったタンパン彫刻 ロマネスク期のものと思われる。(一眼レフ画像) 

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            中心部のキリスト像  (一眼レフ画像) 

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       「オスぺデリア モナステリオ サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ」 全景  

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 中央部には2つの鐘楼をもつ大きな建物 グーグルアースでは、これは「修道院」と記され、手前の付属施設のようなものが「オスぺデリア(宿泊棟)」になっている。

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ペーニャ山塊の頂上部は平坦。それを1キロ余北に行くと、断崖と谷になる。その谷へ下るところにペーニャ修道院がある。  この画像では、縦に黒く細い帯状の岩が見える、その少し先になる。

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   見えて来たサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院の入口  修道院ホテル側から来た場合。

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建物は崖下の窪みを利用して建てられている。  (一部は岩を掘り抜いた石窟寺院の造りになっているような気がする。)   

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院内には様々な部屋があり、それぞれに柱頭彫刻などもあるが、一時的に荒廃した時期もあったらしく、彫刻に傷のあるものが多い。  堂内彫刻 ①

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                      堂内彫刻 ② 

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   回廊彫刻 ①  ここからは崖下の有名な野天回廊の彫刻群。アップで捉えたものが多い。

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     回廊彫刻 ②  彫刻⑦までは「ペーニャの名匠」工房の作。

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                      回廊彫刻 ③  

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                     回廊彫刻 ④  

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                     回廊彫刻 ⑤  

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                     回廊彫刻 ⑥  

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                     回廊彫刻 ⑦ 

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        回廊彫刻 ⑧ 野天回廊には「ペーニャの名匠」の作でないものもある。

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                       回廊彫刻 ⑨ 

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                       回廊彫刻 ⑩ 

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       展示室の彫刻 ① 「ペーニャの名匠」の作だが、支柱が失われたらしく展示室に。

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                   展示室の彫刻 ②  
             
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          サンタ・クルス・デ・ラ・セロス付近の朝の農村風景  

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                  朝日のあたる農家の納屋  

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 『ブログを終了します』
 2011年4月、ブログ(旅行記)を始めたときには、始めた以上3年は続けようと思っていたのですが、実際には今日まで約7年続けました。その間、アクセス数が常に一定水準を保っていたことは、いつも見ていただいている方々が居たためと感謝しています。ありがとうございました。




          「資料」 

   饗庭 孝男 著 「知の歴史学」    

 著者はフランス文学者・文芸評論家。この本は1997年刊。刊行当時、それほど評判になった記憶はなく、以後、広く読みつがれてきた印象はないが、気になる本で最近少し読み直した。          
 歴史を「科学的」に考察しようとする向きには情緒的記述が目立つかもしれないが、フランス革命や日本文化についての見方には示唆を受けた。本のタイトルは気取って付けているわけではなく、「知」の意味は「あとがき」に詳しい。
 古い時代からヨーロッパ・ロマネスクの紀行本をいくつも書かれているが、一番読まれたのは自伝的著作「故郷の廃家」かもしれない。


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補遺 1 ~ロアーレからエナまで~

                          2016年6月22・23日

 
 マドリード新国立考古学博物館の訪問で2016年の旅は終わった。それに伴ってブログ(旅行記)も終了するつもりだったのだが、補足の記事を2つ追加すことにした。というのも、コンパクトカメラで撮影した画像で、保存されていないと思っていたものが出てきたためである。
  一眼レフとコンパクトカメラを持って旅をしたのだが、一眼レフはザックに入れ、本格的に撮影をしようとするとき取出し、コンパクトカメラは半ズボン(死語か?)のポケットに入れて行動し、ちょっと立ち止まって撮影するときは、これを使う。
 ロアーレ城を見た翌日の6月23日の記事に 「ここ(Castillo de Marcuello) を離れて少し草地をゆくと、これも廃墟の小さなサン・ミゲル礼拝堂に着いた。ここでコンパクトカメラを出して撮影したのだが画像が保存されていなかった。」と書いている。
 保存されていないのに気がついたのは、1016年6月23日の行動記録をまとめた同年12月中旬である。
 ところが明けて3月ごろ、撮影の並び順が狂うかたちで画像データが保存されて出てきた。考えてみると、持参した写真機材のうち、コンパクトカメラ(オリンパス ZX-1)だけが中古品だった。日本でテスト撮影して持って行ったのだが、やはりそれなりのリスクが。
 ロアーレ城からサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院を歩いた記録はすでにアップしているので、このままボツにすることも考えたが、この辺りの巡礼路を歩いた画像記録はまず見かけない。文明国スペインの低山トレッキングルートなので、別にどうということもないのだが、日本人で私より前に歩いた人は1~2人だと思う。
 そんなわけで、重複するが「ロアーレ~サンタ・クルス・デ・ラ・セロス」の画像を2つの記事として最後に追加します。最初の記録(今後は本文と記載)と併せて見ていただければ幸いです。
 最初の記録は2016年12月14日から17年1月6日にアップしています。旅をしたのは2016年6月22日~25日です。
 オリンパス ZX-1の描写はなかなかよく、最後のタイトル画像にしている二人の巡礼者も、「北の道」に転じた6月末にウンケラの先の「海岸ルート」で同カメラで撮影したものです。



 ロアーレ城  本文でも一眼レフのものを載せたが、城は岩と一体になって天然の要害。

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         下山途中、ふり返ってみたロアーレ城  

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          上の画像撮影地点からズームで捉えたロアーレ城  

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 城からこの村(サンタ・エングラシア・デ・ロアレ)に下りて来た。 上に見える湖は、ナバス貯水池。

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  サンタ・エングラシア・デ・ロアレ村の聖堂の鐘楼 小さな村にしては立派なゴシック建築。 

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      上の画像の鐘楼と少し似ているが、この日泊ったサルサマルクエジョ村の聖堂と鐘楼。  

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 翌23日早朝、丘の上の廃墟の城砦(Castillo de Marcuello)と礼拝堂(Ermita de Vargen de Marcuello)を目指して登る。 手前に見える大きな建物は礼拝堂

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 廃墟の城砦と礼拝堂の見学を終え、サン・ミゲル礼拝堂近くまで来て城砦をふり返る。 城砦の壁が1枚だけ崩れ落ちず、すっきり立っているのだが、それが塔のように見える。(朝日はまだ壁にあたっていない) 

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  サン・ミゲル礼拝堂まで来て城砦をふり返る。両者の距離は300メートル位だっただろうか。グーグル・アースで確認してほしい。 

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サン・ミゲル礼拝堂(12~13世紀)  屋根は近年新しくかぶせたものなので、原形は不明。小さな礼拝堂なので、丘の先端、崖の上に立つ城砦との関係で建てられたものだろう。

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サン・ミゲル礼拝堂の傍にあった城砦も含めての案内板  私が登って来た道は歩道なので、林道をオフロード車で来る人は、サン・ミゲル礼拝堂のところで車を降りて城砦へ向かって歩くということになる。

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        サン・ミゲル礼拝堂付近から朝日の当たる廃城の壁を見る。 

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       付近の丘陵にも朝日が当たり、長い影をつくっている。  

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サン・ミゲル礼拝堂から低山の林道を11キロ弱、誰にも会わずに木材工場のある村ラ・ペーニャ・エスタシオンまで歩いたのだが、最初のころ礼拝堂から3キロのところにこの廃墟があった。EROSKIの巡礼路地図でいうSAN ROMANなのだと思う。   

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 この切通しのような崖の先がラ・ペーニャ・エスタシオン村。 鉄道駅があるくらいだからそこは平坦な谷。ここまで来ると人里が近いことがわかった。 

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ラ・ペーニャ・エスタシオンではレストランに入って食事もしたのだが、1枚の写真も撮っていない。 長い休憩の後、また11キロ余先のエナを目指し歩き出す。渓谷沿いの歩道はまた人家もなく誰にも出会わなかった。

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       途中から牧場の中へ。柵を開けると、石に黄色い矢印が。  

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         牧場に入ると、渓谷から離れ、このような歩道に。  

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     廃墟の牧童小屋だったのだが、人に出会わなくても道標はしっかりしている。  

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  牧場の出口  道幅も広がりエナが近いことを感じた。右の松に道標。

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     着いたエナは、人口はわずかながら、美しく整った村だった。 (一眼レフ画像) 

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                夕暮れのエナ (一眼レフ画像) 

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マドリード新国立考古博物館 再訪

                               2016年7月19日


 
 この日は、朝、レオンから列車でマドリードへ。切符は念のため前日駅に来て買ってあった。
 昼ごろマドリードに着いたのだが、帰国便は夜になるので、午後5時前に空港行バスに乗れば十分間に合う。4時間ほどの自由時間で行くところは、新国立考古学博物館と決めていた。一昨年、新装なった博物館を見ているので、それほど強い欲求があったわけではないが、プラド美術館と秤にかけると、やっぱり考古学博物館ということになる。
 プラド美術館にある主にルネサンス期以後の芸術作品が嫌いなわけではないが、私にとって「芸術」という、何か価値のありそうなものという言葉のニュアンスは、とくに意味をもたない。
 海や山など自然そのものも好きだが、時代や場所を問わず、人によって造られたもの(建築・絵画・彫刻・工芸品・その他)に対して、いいものに出会ったと感応する気持ちになれるもの、そんなものに出会いたいという気持ちは若い頃からあったような気もする。しかし、仕事をしている時代は自由になる時間が少なかった。
 さて、考古学博物館の『ロマネスクの部屋』、2年前と変わらぬ展示なのだが相変わらず充実している。
 その多くは、支柱の柱頭彫刻。現在あるロマネスク建築の柱頭から持って来て展示している(その場合、現場のものはレプリカ)風ではないので、スペイン国内でいかに多くのロマネスク建築が破壊や改造で失われてしまったか想像できる。
 2年前の訪問記事でアップしたものと画像が重ならないよう注意したつもりだが、これはぜひ、と思うものには重複もある。



        マドリード新国立考古学博物館 『ロマネスクの部屋』 ①  

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        マドリード新国立考古学博物館 『ロマネスクの部屋』 ② 

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                   ロマネスク彫刻 ① 

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                   ロマネスク彫刻 ② 


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                   ロマネスク彫刻 ③ 


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       ロマネスク彫刻 ④ ③と図像は同じだが異なる彫刻。

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                 ロマネスク彫刻 ⑤ 柱頭のもの。

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                   ロマネスク彫刻 ⑥ 柱頭のもの。

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                   ロマネスク彫刻 ⑦ 柱頭のもの。

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      ロマネスク彫刻 ⑧ 「3人のマリア」風だが、2人目のところで切断されている。

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 ロマネスク彫刻 ⑨ 切断された先にあったのがこれ。これは左側が切断されていた。 

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         男(聖人)の頭部 独立した聖人像だったらしいのでゴシックか。

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 ロマネスク彫刻 ⑩ 怪力の持ち主サムソンがライオンを子羊のように裂いて殺す図 (怪力の由来は長い髪の毛にあるわけだが)。完成度の高い秀作。

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          ロマネスク彫刻 ⑪ ⑩の柱頭彫刻の左面、人魚のようだ。

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          ロマネスク彫刻 ⑫ ⑩の柱頭彫刻の右面だったと思う。

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  ロマネスク彫刻 ⑬ 作風からみると③④に似る。その近くで撮影したものだったかもしれない。

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                   ロマネスク彫刻 ⑭ 

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                   ゴシック彫刻 聖人像 

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                   ロマネスク彫刻 ⑮ 

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                   ロマネスク彫刻 ⑯ 

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サン・イシドロ聖堂「犠牲の門」など

                                   2016年7月18日


 
 サン・イシドロ聖堂の入口のあたりには、礼拝に訪れる人々に施しを求める人が一人ぐらいは居る。(ときには二人)
 日本風にいうと乞食なのかもしれないが、その言葉に込められている「蔑み」の感覚は、施しを受ける側にも、する側にも無いような気がする。この日、私も1ユーロ余小銭を差し出す紙コップの中に入れた。彼女(だったと思う)を撮影したわけではなかったが、撮影のため同じ時間帯に傍にいて、小銭を入れる人はいたにはいたが、数が少なかったので、こちらも気になったというところはある。
 スペイン人、フランス人、確かに日本人とは違うところはあるが、同じ人間同士、八割がた一緒である。
 不思議な縁というか、いろんな要素が作用して、60歳代末から北スペインを歩くようになった。2016年まで8年間9回、2000年に年2回スペイン来たときは1ヶ月、それ以後は1ヶ月半程度。4000~5000キロは北スペインを歩いたか。
70歳代になっても健康に恵まれていたと言えよう、ここまで毎年来るとは思わなかったが。
 まあ、2016年で一区切りである。2017年は、いつも出発する6月に白内障の手術をしなければならなくなり、今年のスペイン行きはあきらめた。
 しかし、次女がパリで家庭をもち孫娘が二人いることを考えると、来年以降もパリには行くかもしれないし、短期間スペインに脚を伸ばすかもしれない。この齢(最近76歳になった)ではすべてのことが不確定要素だが。
 さて、帰国前日のレオン、サン・イシドロ聖堂の「二つの門」周辺を撮影したあと、聖堂内に入る。内部は、ゴシック以後の様式に改修されているが、部分的にはモサラベ色のある創建期のロマネスクが残る。ただ、薄暗いのでストロボ発光なしに撮影できる部分は限られる。
 サン・イシドロ聖堂を出たあとは、昨年インフォメーション・センターの人に紹介された「サン・サルバドル・デル・プラタ」に行った。大部分が修復された建物ではあるが、モサラベ様式のロマネスク聖堂が、レオン市内に存在した証しが、ここには残っている。
   


                 「免罪の門」全図  

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                  「犠牲の門」全図  

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     「犠牲の門」・コーベル彫刻(右) 「免罪の門」のそれと異なり、左右ほぼ同じ。 

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              タンパン中央「イサクの犠牲」  

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             タンパン上部 「子羊」=イエスの象徴  

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              タンパン右「イサクの犠牲」部分 

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               タンパン左「イサクの犠牲」部分 

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           タンパン右上「昇天」 「免罪の門」の彫りに似る。

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 「犠牲の門」壁面彫刻 ① 全体図でも確認できる通り、「犠牲の門」上部壁面には彫刻が並ぶ。 

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               「犠牲の門」壁面彫刻 ②  

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   「犠牲の門」壁面(左)・聖イシドルス像 右の聖ペラジウス像と対になっている。 

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        聖堂内・柱頭彫刻 ①  「免罪の門」タンパン彫刻と同じ工房の作。

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         聖堂内・柱頭彫刻 ② これはゴシック期(?)のもの。 

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    聖堂内・柱頭彫刻 ③  堂内のものは、当然のことながら保存状態がよい。

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       聖堂内・柱頭彫刻 ④  何がどうなっているのか、動物と植物の絡み合い。

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                聖堂内・柱頭彫刻 ⑤  これは植物だけか。

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         聖堂内の次の部屋への扉口にあった彩色のクリスモン  

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     これも聖堂内の扉口 馬蹄形など、アーチの形状にモサラベ色がある。 

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ここからの4つの画像は、10世紀創建のサン・サルバドル・デル・パラト・デ・レイ聖堂(Iglesia San Salvador del Palat de Rey )のものである。  

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          アクリルで造られたサン・サルバドル聖堂ミニチュア模型 

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              聖堂内は宗教施設ではなく、モサラベ資料館  

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 交差部ドーム天井 手前のアーチに変色した部分があるのは、彩色文様の残滓、他にも各所にある。 

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これはまたカテドラルに向かう大通りに戻ってきて、ガウディ設計の旧ボティネス邸(現・銀行)の入口上部にある龍(ドラゴン)を退治する聖ゲオルギオス(セント・ジョージ)の彫刻。  

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レオン: サン・イシドロ聖堂の二つの門

                         2016年7月18日


 
 今回の旅の最終宿泊地レオンにやって来た。明日の夕方はマドリードから帰国便に乗ることもあって、レオンの近郊を訪ねるとか活動的なことはせず、レオンの町中でゆっくり過ごした。
 「イスパニア周遊記」というかたちのスペイン旅行記は2016年の旅で終わるので、レオンに来るのは最後かもしれない。
 そんなことを考えると、レオンを代表するロマネスク建築・彫刻、サン・イシドロ聖堂に足が向いた。ここも以前撮影しているところだが、やはり、2つのロマネスク扉口(門)とその周辺の彫刻はいい。右側は「免罪の門」または「赦しの門」と呼ばれ、左側は「犠牲の門」または「子羊の門」と呼ばれているようだ。左側の門(扉口)の方が、やや古い。  
 この記事の前半は「免罪の門」周辺の画像である。「免罪の門」タンパンの図像は村田本によれば、『十字架降下』『聖墳墓参り』『昇天』の3つ。



                  、『十字架降下』 

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         『聖墳墓参り』  棺の蓋をあけようとしている。

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          『聖墳墓参り』  香油をもった3人のマリア。

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                          『昇天』  

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                           『昇天』  

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                   「免罪の門」・コーベル彫刻(右)  

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               聖ペテロ像  「免罪の門」・壁面右

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               聖パウロ像  「免罪の門」・壁面左

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                   軒下持ち送り彫刻 ① 

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                     軒下持ち送り彫刻 ② 

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                     軒下持ち送り彫刻 ③ 

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                     軒下持ち送り彫刻 ④ 

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                      軒下持ち送り彫刻 ⑤ 

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         聖ペラジウス像  「犠牲の門」・壁面右。オリエント風。

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                    「犠牲の門」・壁面彫刻 ① 

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                    「犠牲の門」・壁面彫刻 ② 

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               「犠牲の門」・側柱の柱頭彫刻 ① 

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                       柱頭彫刻 ② 

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                      柱頭彫刻 ③  

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                        柱頭彫刻 ④  

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            街角の巡礼者  昼食をとった通りで。

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            この日の昼食  1皿目のサラダ。

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    デザート  メインはチュレタだったのだが、肉とポテトで彩りが悪かったためか撮っていない。 

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プロフィール

翁岳(おきなだけ)

Author:翁岳(おきなだけ)
若い頃、1970年から数年間屋久島の山に登っていた。現在はリタイアの年金生活者。ここのところ、毎年スペインの巡礼路を歩きロマネスクを見ることを楽しみにしている。趣味:テニス、陶芸、ヨガ、素潜り。

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