カンフランクまで

                                   2010年9月25日



 ソンポルト峠のバルで小1時間休憩して、谷の巡礼路を下る。しばらくして小雨もやみ、峠近くでは強かった風もおさまってくる。牧場の中を通ったりしながら歩道をゆくと、やがてカンフランクの駅と町が見えてくる。
駅周辺を見物して、このあたりに泊まる予定だったが、駅近くのアルベルゲは連絡先の電話番号が貼ってあり閉まっている。下の町のほうのアルベルゲも閉まっている。 スペイン語は話せないも同然なので、確実に開いているハカのアルベルゲに行くためにバスを待つ。午後2時過ぎていることもあり、バス停横のレストランで定食を食べる。前菜・肉料理・デザートと赤ワイン1本つき。
 カンフランクは、ピレネーの景色と、かって国際列車が通っていたとはいえ意味もなく巨大な駅があるため、小さいながら観光地になっており、ホテルと良さそうなレストランが数軒ある。 
 定刻通りバスがきて、無事ハカに着く。なお、フランスのバスはオロロンを出てカンフランクまで、スペインのバスは、ハカを出てソンポルト峠で右折し、数キロ先のアストゥン(スペイン側・スキー場がある)までを往復している。



   巡礼路の避難小屋 巡礼者兼トレッカー用か。このあたりはトレッキングルートにもなっている。

Kまで


  カンダンチュ下の巡礼路にある巡礼路(上)・トレッキングルート(下)の道標  下の道標・GR11はピレネーのスペイン側を地中海沿岸までたどる長距離トレッキングルート。フォルミガルは尾根を南にひとつ越えた先の村。

GR11道標


  小さな町カンフランクの巨大な鉄道駅 今は列車は運行されず、バス便になっている。

カンフランク駅


 カンフランク駅の偉容  駅はパワースポットにもなっているらしく、駅前の柵には何か文字を書いたカラフルなテープが何本も結んであった。駅舎の巨大さはドン・キホーテ的空想の産物か、それともホテル兼用だったのか。

カンフランク駅の威容
 

カンフランクの教会内部 駅の近くにモダンなデザインの新しい教会があり、内部もすっきりした空間だった。

聖堂内部





Formigal-1 「ルート」カンフランクとフォルミガルの位置関係は左図の通り。昨年、ハカからオルデサ渓谷に行くため、ピレネーのスペイン側のルートを調べたのだが、渓谷へ入るための村トルラへのバス便はなかった。そのため、ウエスカ方面へ行くバスをサビニャニゴでフォルミガル行きに乗り換え、ビエスカスで降りてトルラへ向かった。
 なお、地図でフォルミガルの下にある鉱泉のある村パンティコサの冬景色のモノクロ写真が、二日後泊まったアレスのアルベルゲの食堂に飾ってあった。         もちろん、行ったことはない村なので、写真の下にPanticosaの文字があるからわかったわけだが。
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ソンポルト峠再訪

                                    2010年9月25日  



 パリからの夜行寝台列車で、朝7時ポーに着く。駅で午前9時10分発のオロロン・サント・マリー行きの切符を買いホームに出てみたが要領を得ないので、もう一度駅で聞くと、昨年来た時と異なり列車ではなくバスになっていた。(切符は列車の切符と同じだった)
 発車の時間待ちのため、しばらく駅前を散歩し、バスに乗り10時頃オロロン・サント・マリーに到着。ソンポルト方面行きのバスに乗る頃には小雨になる。天気が良ければ途中でバスを降り、ピレネーの登りは歩こうという気持ちもあったのだが、ソンポルト峠までバスに乗ることにする。(バスはオロロンの国鉄駅前から出るマイクロバス)
 昼ごろ着いたソンポルト峠も小雨が降ったりやんだり。峠のバルでしばらく休み、谷を下る巡礼路を歩き始める。ドイツ人らしい若い巡礼者がオロロンから一緒。
 ピレネーの登りを歩くならソンポルト峠で泊まり、峠から歩くならカンフランクで泊まるという心づもりだったので、きょうはカンフランクまでの予定。

       『2017年はスペインへの旅をしなかったため、ブログを中断します。』

 2017年6月、前年度の旅の記録を書き終えたとき、いったんはブログを終了しようと思ったのですが、2018年6月から1カ月程度に期間を縮めて旅を再開することにしたため、ブログも終了ではなく中断というかたちにさせていただきます。

         (その間、ブログを古い順に再編集します。)

                        


                ポー駅前

ポー駅

              
      ポー駅前のケーブルカー。街は高台にある。

ポー駅前風景


  羊の移動で路線バスもしばらく停車(フランス側ボルスあたり) ソンポルト峠をはさんで、フランス側は牧場、スペイン側はスキー場とホテルという感じだが、スペイン側も下るに従って牧場が多くなる。マイクロバスのフロントガラス越しに撮影したら、光の屈折で変な発色に。

ピレネーの羊2   


       ソンポルト峠下の巡礼路の起点。新しく道標が。

新しい道しるべ
 
       
    峠の草原に生えていたキノコ
 傘が開いている部分が大人の手のひら大の大きなキノコ。遠くのほうで女性が時々草原に手をのばして何かかごに入れていたのは、おそらくこのキノコ。食用になるのだと思う。

峠のきのこ



「巡礼宿」

巡礼路を歩いていると、パンプローナから先で、出発地はロンセスバジェスかソンポルト峠か、とアルベルゲでよく聞かれる。実際に歩いてみると、ロンセスバジェスの方は、その規模の大きさ、巡礼路情報の多さなど出発地らしいところがあるが、ソンポルト峠の方は、バル兼アルベルゲ(半地下のベッドルーム)があるだけ。
 アラゴンルートでロンセスバジェスのような役割を果たしているのは、ハカのアルベルゲである。ハカ以外のアルベルゲは規模が小さく、巡礼者も少ない。巡礼路情報はハカ、サングエサのインフォメーション・センター(オフィシア・デ・トゥリスモ)に、より豊富にあると感じた。

補遺 2 ~エナからサンタ・クルス・デ・ラ・セロスへ~

                                  2016年6月24・25日


 
 6月24日、小さな村エナを出て歩き出した。エナは行き止まりの村で、昨日は村の背後(南側)から、歩道をたどって着いたのだが、きょうは狭いながら車道を歩いている。
 1時間ほど歩いたところで、これも小さな村ボタヤに着いた。ボタヤには彫刻のある半円のタンパンだけが壁にはめ込まれた建物があった。私はこれを村の聖堂の一つと思ったのだが、今、グーグルアースを見ると同じような地点に「お化け屋敷」という建物がある。「お化け」とはスペイン語の直訳なんだろうが、どんな建物だったのだろう。壁にタンパンのある建物とは別物とは思うが。
 ボタヤを出てしばらく行くと、左手にペーニャ山塊の頂上部へ向かう歩道があるはずなので、その入り口を見落とさないように気をつけて歩く。無事歩道に入り、谷をつめてペーニャ山塊の頂上付近に達する。
 ここで小休止して一眼レフを出し、登って来た谷を撮影。(その画像は本文にある) そして平坦な林の中をしばらく歩くと、突然新しく大きな建物が出現した。4つ星の修道院ホテル「オスぺデリア モナステリオ サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ」である。    名前だけ修道院=モナステリオで、実際はホテルなのだろうと思っていたが、施設はかなり修道院らしい造り。脇を通っただけなので詳細はわからないが、主要部は修道院(聖堂)のように見えた。
 ただ近隣に村はないので聖堂に参拝するのは宿泊者の一部だけだと思うのだが。その辺はキリスト教関係者の現実を直視したくない願望みたいなものも入っているかもしれない。
 コンパクトカメラの画像の並びが狂って後方に飛んでいたのはここまでで、以後は本文をまとめるときにもあったものだが、ペーニャ修道院のところでは、ほとんど一眼レフの画像を用いて陽の目を見なかった。
 ここでは、あの傑作ぞろいだった修道院のロマネスク彫刻を別のレンズで捉えたものを見ていたいただき、最後に翌25日朝、サンタ・クルスから下の国道に行く途中で目にした農村風景を添える。
 歩いて旅をすることは、人々の営みを落ち着いて観ることができ、それだけで旅心が満たされるところがある。



     ボタヤの壁にあったタンパン彫刻 ロマネスク期のものと思われる。(一眼レフ画像) 

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            中心部のキリスト像  (一眼レフ画像) 

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       「オスぺデリア モナステリオ サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ」 全景  

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 中央部には2つの鐘楼をもつ大きな建物 グーグルアースでは、これは「修道院」と記され、手前の付属施設のようなものが「オスぺデリア(宿泊棟)」になっている。

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ペーニャ山塊の頂上部は平坦。それを1キロ余北に行くと、断崖と谷になる。その谷へ下るところにペーニャ修道院がある。  この画像では、縦に黒く細い帯状の岩が見える、その少し先になる。

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   見えて来たサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院の入口  修道院ホテル側から来た場合。

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建物は崖下の窪みを利用して建てられている。  (一部は岩を掘り抜いた石窟寺院の造りになっているような気がする。)   

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院内には様々な部屋があり、それぞれに柱頭彫刻などもあるが、一時的に荒廃した時期もあったらしく、彫刻に傷のあるものが多い。  堂内彫刻 ①

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                      堂内彫刻 ② 

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   回廊彫刻 ①  ここからは崖下の有名な野天回廊の彫刻群。アップで捉えたものが多い。

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     回廊彫刻 ②  彫刻⑦までは「ペーニャの名匠」工房の作。

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                      回廊彫刻 ③  

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                     回廊彫刻 ④  

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                     回廊彫刻 ⑤  

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                     回廊彫刻 ⑥  

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                     回廊彫刻 ⑦ 

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        回廊彫刻 ⑧ 野天回廊には「ペーニャの名匠」の作でないものもある。

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                       回廊彫刻 ⑨ 

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                       回廊彫刻 ⑩ 

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       展示室の彫刻 ① 「ペーニャの名匠」の作だが、支柱が失われたらしく展示室に。

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                   展示室の彫刻 ②  
             
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          サンタ・クルス・デ・ラ・セロス付近の朝の農村風景  

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                  朝日のあたる農家の納屋  

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          「資料」 

   饗庭 孝男 著 「知の歴史学」    

 著者はフランス文学者・文芸評論家。この本は1997年刊。刊行当時、それほど評判になった記憶はなく、以後、広く読みつがれてきた印象はないが、気になる本で最近少し読み直した。          
 歴史を「科学的」に考察しようとする向きには情緒的記述が目立つかもしれないが、フランス革命や日本文化についての見方には示唆を受けた。本のタイトルは気取って付けているわけではなく、「知」の意味は「あとがき」に詳しい。
 古い時代からヨーロッパ・ロマネスクの紀行本をいくつも書かれているが、一番読まれたのは自伝的著作「故郷の廃家」かもしれない。


補遺 1 ~ロアーレからエナまで~

                          2016年6月22・23日

 
 マドリード新国立考古学博物館の訪問で2016年の旅は終わった。それに伴ってブログ(旅行記)も終了するつもりだったのだが、補足の記事を2つ追加すことにした。というのも、コンパクトカメラで撮影した画像で、保存されていないと思っていたものが出てきたためである。
  一眼レフとコンパクトカメラを持って旅をしたのだが、一眼レフはザックに入れ、本格的に撮影をしようとするとき取出し、コンパクトカメラは半ズボン(死語か?)のポケットに入れて行動し、ちょっと立ち止まって撮影するときは、これを使う。
 ロアーレ城を見た翌日の6月23日の記事に 「ここ(Castillo de Marcuello) を離れて少し草地をゆくと、これも廃墟の小さなサン・ミゲル礼拝堂に着いた。ここでコンパクトカメラを出して撮影したのだが画像が保存されていなかった。」と書いている。
 保存されていないのに気がついたのは、1016年6月23日の行動記録をまとめた同年12月中旬である。
 ところが明けて3月ごろ、撮影の並び順が狂うかたちで画像データが保存されて出てきた。考えてみると、持参した写真機材のうち、コンパクトカメラ(オリンパス ZX-1)だけが中古品だった。日本でテスト撮影して持って行ったのだが、やはりそれなりのリスクが。
 ロアーレ城からサン・ファン・デ・ラ・ペーニャ修道院を歩いた記録はすでにアップしているので、このままボツにすることも考えたが、この辺りの巡礼路を歩いた画像記録はまず見かけない。文明国スペインの低山トレッキングルートなので、別にどうということもないのだが、日本人で私より前に歩いた人は1~2人だと思う。
 そんなわけで、重複するが「ロアーレ~サンタ・クルス・デ・ラ・セロス」の画像を2つの記事として最後に追加します。最初の記録(今後は本文と記載)と併せて見ていただければ幸いです。
 最初の記録は2016年12月14日から17年1月6日にアップしています。旅をしたのは2016年6月22日~25日です。
 オリンパス ZX-1の描写はなかなかよく、最後のタイトル画像にしている二人の巡礼者も、「北の道」に転じた6月末にウンケラの先の「海岸ルート」で同カメラで撮影したものです。



 ロアーレ城  本文でも一眼レフのものを載せたが、城は岩と一体になって天然の要害。

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         下山途中、ふり返ってみたロアーレ城  

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          上の画像撮影地点からズームで捉えたロアーレ城  

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 城からこの村(サンタ・エングラシア・デ・ロアレ)に下りて来た。 上に見える湖は、ナバス貯水池。

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  サンタ・エングラシア・デ・ロアレ村の聖堂の鐘楼 小さな村にしては立派なゴシック建築。 

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      上の画像の鐘楼と少し似ているが、この日泊ったサルサマルクエジョ村の聖堂と鐘楼。  

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 翌23日早朝、丘の上の廃墟の城砦(Castillo de Marcuello)と礼拝堂(Ermita de Vargen de Marcuello)を目指して登る。 手前に見える大きな建物は礼拝堂

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 廃墟の城砦と礼拝堂の見学を終え、サン・ミゲル礼拝堂近くまで来て城砦をふり返る。 城砦の壁が1枚だけ崩れ落ちず、すっきり立っているのだが、それが塔のように見える。(朝日はまだ壁にあたっていない) 

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  サン・ミゲル礼拝堂まで来て城砦をふり返る。両者の距離は300メートル位だっただろうか。グーグル・アースで確認してほしい。 

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サン・ミゲル礼拝堂(12~13世紀)  屋根は近年新しくかぶせたものなので、原形は不明。小さな礼拝堂なので、丘の先端、崖の上に立つ城砦との関係で建てられたものだろう。

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サン・ミゲル礼拝堂の傍にあった城砦も含めての案内板  私が登って来た道は歩道なので、林道をオフロード車で来る人は、サン・ミゲル礼拝堂のところで車を降りて城砦へ向かって歩くということになる。

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        サン・ミゲル礼拝堂付近から朝日の当たる廃城の壁を見る。 

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       付近の丘陵にも朝日が当たり、長い影をつくっている。  

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サン・ミゲル礼拝堂から低山の林道を11キロ弱、誰にも会わずに木材工場のある村ラ・ペーニャ・エスタシオンまで歩いたのだが、最初のころ礼拝堂から3キロのところにこの廃墟があった。EROSKIの巡礼路地図でいうSAN ROMANなのだと思う。   

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 この切通しのような崖の先がラ・ペーニャ・エスタシオン村。 鉄道駅があるくらいだからそこは平坦な谷。ここまで来ると人里が近いことがわかった。 

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ラ・ペーニャ・エスタシオンではレストランに入って食事もしたのだが、1枚の写真も撮っていない。 長い休憩の後、また11キロ余先のエナを目指し歩き出す。渓谷沿いの歩道はまた人家もなく誰にも出会わなかった。

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       途中から牧場の中へ。柵を開けると、石に黄色い矢印が。  

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         牧場に入ると、渓谷から離れ、このような歩道に。  

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     廃墟の牧童小屋だったのだが、人に出会わなくても道標はしっかりしている。  

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  牧場の出口  道幅も広がりエナが近いことを感じた。右の松に道標。

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     着いたエナは、人口はわずかながら、美しく整った村だった。 (一眼レフ画像) 

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                夕暮れのエナ (一眼レフ画像) 

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マドリード新国立考古博物館 再訪

                               2016年7月19日


 
 この日は、朝、レオンから列車でマドリードへ。切符は念のため前日駅に来て買ってあった。
 昼ごろマドリードに着いたのだが、帰国便は夜になるので、午後5時前に空港行バスに乗れば十分間に合う。4時間ほどの自由時間で行くところは、新国立考古学博物館と決めていた。一昨年、新装なった博物館を見ているので、それほど強い欲求があったわけではないが、プラド美術館と秤にかけると、やっぱり考古学博物館ということになる。
 プラド美術館にある主にルネサンス期以後の芸術作品が嫌いなわけではないが、私にとって「芸術」という、何か価値のありそうなものという言葉のニュアンスは、とくに意味をもたない。
 海や山など自然そのものも好きだが、時代や場所を問わず、人によって造られたもの(建築・絵画・彫刻・工芸品・その他)に対して、いいものに出会ったと感応する気持ちになれるもの、そんなものに出会いたいという気持ちは若い頃からあったような気もする。しかし、仕事をしている時代は自由になる時間が少なかった。
 さて、考古学博物館の『ロマネスクの部屋』、2年前と変わらぬ展示なのだが相変わらず充実している。
 その多くは、支柱の柱頭彫刻。現在あるロマネスク建築の柱頭から持って来て展示している(その場合、現場のものはレプリカ)風ではないので、スペイン国内でいかに多くのロマネスク建築が破壊や改造で失われてしまったか想像できる。
 2年前の訪問記事でアップしたものと画像が重ならないよう注意したつもりだが、これはぜひ、と思うものには重複もある。



        マドリード新国立考古学博物館 『ロマネスクの部屋』 ①  

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        マドリード新国立考古学博物館 『ロマネスクの部屋』 ② 

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                   ロマネスク彫刻 ① 

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                   ロマネスク彫刻 ② 


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                   ロマネスク彫刻 ③ 


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       ロマネスク彫刻 ④ ③と図像は同じだが異なる彫刻。

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                 ロマネスク彫刻 ⑤ 柱頭のもの。

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                   ロマネスク彫刻 ⑥ 柱頭のもの。

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                   ロマネスク彫刻 ⑦ 柱頭のもの。

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      ロマネスク彫刻 ⑧ 「3人のマリア」風だが、2人目のところで切断されている。

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 ロマネスク彫刻 ⑨ 切断された先にあったのがこれ。これは左側が切断されていた。 

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         男(聖人)の頭部 独立した聖人像だったらしいのでゴシックか。

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 ロマネスク彫刻 ⑩ 怪力の持ち主サムソンがライオンを子羊のように裂いて殺す図 (怪力の由来は長い髪の毛にあるわけだが)。完成度の高い秀作。

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          ロマネスク彫刻 ⑪ ⑩の柱頭彫刻の左面、人魚のようだ。

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          ロマネスク彫刻 ⑫ ⑩の柱頭彫刻の右面だったと思う。

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  ロマネスク彫刻 ⑬ 作風からみると③④に似る。その近くで撮影したものだったかもしれない。

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                   ロマネスク彫刻 ⑭ 

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                   ゴシック彫刻 聖人像 

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                   ロマネスク彫刻 ⑮ 

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                   ロマネスク彫刻 ⑯ 

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プロフィール

翁岳(おきなだけ)

Author:翁岳(おきなだけ)
若い頃、1970年から数年間屋久島の山に登っていた。現在はリタイアの年金生活者。ここのところ、毎年スペインの巡礼路を歩きロマネスクを見ることを楽しみにしている。趣味:テニス、陶芸、ヨガ、素潜り。

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