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サン・ソルまで

                              2014年5月31日


 
 昨日は頭のけがの治り具合を気にして、エステーリャ市内やイラチェなどへ歩いただけだったのだが、けがは擦過傷だったこともあり、もう痛みも薄れているので、きょうから徐々に歩き始めた。
 エステーリャからロス・アルコスまではバスで、ロス・アルコスからサン・ソルまでは徒歩でというのが、この日の行程だった。
 ロス・アルコス→サン・ソル間は、10キロ余なので、距離は大したことはないのだが人家もなく(したがってバルもない)木陰もない。歩き始めたのが正午前だったので、真夏の日差しの中を3時間弱はかなりタフな道のりだった。
着いたサン・ソルの少し先には八角堂のロマネスクで知られるトレス・デル・リオがあるのだが、そこまで歩く気にならず村の巡礼路沿いにあるアルベルゲ(巡礼宿)に入る。
 宿は高い塀に囲まれ、外からは周囲の家々と変わらない古い家があるだけだったのだが、うちはそれなりの広さの庭もあり、建物は改装されてまだ数年という感じで、しかも古民家風に改装されている。
 サン・ソルの辺りは、まだナバラ州で、昔からの住民はバスク人である。ここを経営するオスピタレロは、そんなバスク系の人で昔ながらのバスク人の生活と文化を継承していきたいと考えている、広い意味でのバスク民族主義者だった。
 彼は家族ではバスク語を使う様にしていると言っていたし、インテリアとして用いている家具・民具も昔のバスクの生活をしのばせるものだった。
 オスピタレロの穏やかな人柄のせいもあり、この夜は1階のバル兼食堂で20人足らずの宿泊者が集まって、ヨーロッパ文化談義になった。話の核心は「一つの国に一つの文化ではない」ことをみんなが理解しなければならないということである。
 それぞれの人が発言したが、話し合いを活発にしたのはブルターニュ出身の巡礼者がいたこと。ケルト人の西ヨーロッパへの移住は古い話だが、ブルトン人のブリテン島(イギリス)から大陸のブルターニュ地方への移住は古い話ではない(4~6世紀)。
 ケルト系でケルト系言語を話していたブルターニュ人(ブルトン人)は、フランスの中では独自の文化を持っており、かっては独立志向もあった。もっとも、ブルトン人も好んで移住して来たわけではなく、ゲルマン大移動の流れの中でブリテン島へやって来たアングル人・サクソン人の圧迫を受けブルターニュ地方へ逃れてきた感じなのだと思う。
 私以外はヨーロッパ人だったので、発言を求められる機会はなかったが、「日本人」の成立についても、縄文・弥生論争など学習し直す必要を感じた。近年、朝鮮半島などからの渡来者(弥生系)の考古学的な集落調査が進んでいることを知ってはいるのだが。



         巡礼路の先に見えて来たサン・ソルの村 

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これはサン・ソルの手前・左側に見えるエル・ブストの村。 見えるだけで、村の傍までは行かない。 

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       近づいたサン・ソル。 ここまで来ると巡礼者もホッとする。 

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 サン・ソルの巡礼宿の2階のベッドルーム。 スペインの田舎の家は、天井を張らず構造材は自然木の形を残し鉋をかけない。もっとも梁はチョウナで削ってあるようだ。 

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      これは入口のすぐ奥にある同じ構造のテラスの屋根。   

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          それなりに庭もある。   

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                 1階のバル兼食堂。   

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     上の画像にある壁にかかっている木彫彩色の額。 昔のバスクの人々の食事の様子。 

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 民具と枯れたひまわりの厄除け。 厄除けは数日前、実際に飾られているのをバスク自治州で見た。 

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  古いデスクと重厚な石の壁。壁の隙間に折りたたんで差し込んである色紙は、巡礼者たちのメッセージ。泊ったときは気がつかなかったが、ここの主人一家は「海のバスク」からの移住者かもしれない。 

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        日本人宿泊者の巡礼宿を描いた水彩画とこけしのキーホルダー。   

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              庭のバラ。   

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         テーブルのガラス器に入れたバラの花。   

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   サン・ソルのすぐ近く、1,5キロ後方の低地にあるトレス・デル・リオの村。 村の中と村外れに2つの聖堂が見える。 

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村外れのサン・アンドレス聖堂。 これも古いものだが、後世の改造があるためか立ち寄る人はいない。 

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 村の中にある八角形のサント・セプルクロ聖堂。 エウナテ聖堂と並んで、特徴的な建築美をもつロマネスクとして知られる。 

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サンタ・マリア・デ・イラチェ修道院

                              2014年5月30日


 
 プエンテ・ラ・レイナからエステーリャへはバスで来たこともあり、時間に余裕があり、歩いて行ける見学地を訪ねることにした。
 エステーリャを出て、巡礼路に沿って2キロほど行くとイラチェ(イラーチェ)という村に着くのだが、その村の手前に右手にワイナリー左手に修道院らしき建物がある。
 巡礼者にとってはワイナリーの方が有名。巡礼路沿いにワイナリーがワインの無料提供施設を開設している。ただし毎日の供給量には限度があるらしく、これまで二度ほどここを通ったが、ワインを飲む人を見たことはない。
 もっともこれは日本人の若者の言だと思われるが「スペインではワインは水より安い。」という言葉がある。今でも350mlのペットボトルのミネラルウォーターが1ユーロだとすると、750mlのワインは、スーパーでは安いものは2ユーロで買えるので、ペットボトルに換算すると水より安いともいえる。
 いずれにしても、ワインの値段はスペインでもフランスでも、日本とはかなりの差がある。果物で言うと、メロンやマンゴーもそうで、別にメロンやマンゴーが特別好きだというわけではないのだが、スペインでスーパーや果物屋にあれば、とくにマンゴーは意識して買うようにしている(気軽に食べれるので、メロンを買わないのは一人で食べるには大きすぎるから)。  
 さて、この日訪ねたのは、ワイナリーの向かい側にあるイラチェ修道院。スペインに通い始めて6年目だが、これまでここを訪れたことはなかった。巡礼者にとっても、巨大な修道院は敷居が高いし、ロマネスク愛好者にとってもはっきりしたロマネスク部分が残っているとは言い難い修道院は訪れる魅力に乏しい。
 ハカ大聖堂やサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂は、後世の改造の手が入っているが、手つかずのロマネスク部分が残っている。
ただ、今回、イラチェ修道院を訪れてみて、ロマネスク愛好者は、ここを実態より低く評価しているのではないかという気持ちになった。 建設期は12~13世紀とされるが、主要な装飾はゴシック期以降である。それでも建築の基本構造は12~13世紀のものが核になっており、重厚な建物は往時をしのばせる。



   巡礼路の左に見えるイラチェ修道院・付属聖堂扉口  右の建物は、修道院の僧房らしい。 

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 聖堂(部分)/イラチェ修道院12~13世紀、とある。 ただし内部に入ると、13世紀までに完成したものがきちんと残っているわけではない。 

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  聖堂内部。部分的には改造されているが、バラ窓はなく、窓は円形アーチ。  13世紀ごろ、一応の完成をみたものではなかろうか。 

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              ここは側廊だった気がする。   

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   交差ヴォールトの天井 天井の薄い石の張る方向も、こうでなければ重さに耐えられないだろう。 

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   入口に近い部屋の天井交差部にある彫刻(ゴシック期よりかなり後のもの) なお、この彫刻は上の画像の交差部のものではない。 

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      これも入口に近い部屋の天井。 美しいが後世の改造による。 

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外に出て付属聖堂を側面から見る。 半円の扉口がある。前の鐘楼部分は新しく、後ろの祭室部分は古い。 

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        半円の扉口の柱頭彫刻  ロマネスク期のものと言っていいだろう。 

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    側面全体図で確認してほしいのだが、後部の祭室近くに2連のロマネスク窓がある。   

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  2連のロマネスク窓の左側柱柱頭にある不思議な図像の彫刻。 この彫刻に出会っただけでも、イラチェ修道院に来た甲斐があるというものである。 

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       後部の祭室付近は古く、骨格は12~13世紀のもの。   

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上の画像から約90度左に移動し祭室をほぼ東から見る。 画像左下、袖廊部分の軒下などに彫刻が見える。 

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 近づいて、袖廊軒下付近を撮影。 軒下には持ち送り彫刻、その下のロンバルディア帯下部にもゴシック彫刻が付いている。 

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           ゴシック彫刻 ①  軒下部分 

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            ゴシック彫刻 ② 軒下部分 

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      ゴシック彫刻 ③ これはロンバルディア帯下部に。 

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         ゴシック彫刻 ④ 軒下部分 

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          ゴシック彫刻 ⑤ 軒下部分 

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          ゴシック彫刻 ⑥  ロンバルディア帯下部 

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 これはエステーリャ市内のサン・ペドロ聖堂全景 サン・ペドロ聖堂入口の長い石段を登り始めてからは正面の全景を撮影するのは難しい。イラチェ訪問の帰り、下の巡礼路を歩きながら、まだ正面側からの画像を撮影していないことを思い出し撮ったもの。 

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エステーリャ:サン・ミゲル聖堂と旧王立礼拝堂付近

                              2014年5月30日


 
 この日の見学ルートはサン・ペドロ・デ・ラ・ルア聖堂や旧王宮を見たあと、エガ川に架かる橋を渡り川の北側の旧市街を東に向かいサンミゲル・デ・アルカンヘル聖堂に向かう。
 エステーリャの町の中心部をエガ川が流れているが、東西に流れる川の南北のいずれの町が大きいかは判断が難しい。旧市街は南側が大きいようだ。巡礼路になっている旧市街のメインストリートはこちら側にある。しかし、バス・ターミナルをはじめ銀行・その他、主要な施設は新市街がひろがるエガ川の北側にある感じだ。
 いずれにしても中世以来、町はエガ川の両岸に発達し、とくに南側ではフランスからの入植者が多かったとされる。入植者の歴史はサンティアゴ巡礼の歴史と密接に関係している。
 中世のサンティアゴ巡礼者は、毎年、数万人に達したと言われる(もっと多いという説もある)。そして、彼らの三分の一は故郷に帰り、三分の一は道半ばで亡くなり、三分の一は巡礼路の何処かに定住したとも。
 スペイン北部には、『ビジャフランカ』という地名が多い。この語はヴィラ(村)とフランシア(フランス人)の合成語。
 エステーリャなどがその領域に含まれるナバラ王国の首都パンプローナの中世も旧住民と移住者の新住民の抗争の歴史である。歴代の王は新旧住民の抗争の調停に苦労している。旧住民の主体はバスク人なのだろうが、ところ変われば、それはケルト人の末裔だったりするのだろう。パンプローナはスペイン三大祭りの一つ、「サンフェルミン祭り」(牛追い祭り)で有名だが、古くからあるこの祭りも、市民融和の試みの結果なのかもしれない。
 それはともかく、現在のエステーリャは中世の建物が残る美しい町である。
 さて、エガ川北岸の旧市街の狭い道を東に進むと、崖地に城砦のような大きな建物がある。これが北側のファザード扉口にロマネスク彫刻の名品が残るサン・ミゲル聖堂である。12世紀後半から数百年かけて完成したもの。増築に増築を重ねているので、近くからはその全容がわかりにくいが、全体としてはゴシック風である。
 城砦を巻く様についている聖堂の長い石段を登り、裏側(北側)にあるファザード彫刻を撮影し、また降りて来て、東に向かい中世の橋を渡って、南寄りの丘にある王立礼拝堂に向かう。旧王立礼拝堂のある一帯も中世の建物の多いところ。2009年、最初に訪れたときは閉鎖されている建物の多い、寂れた感じのするところだったが、5年後の2014年には再開発が進んでいた。
 

 旧市街の道端でエスカルゴを売っている人がいた、めずらしい。 スーパーやマルシェで肉や魚は売っているが、エスカルゴは見かけない。 

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         露天商が売っていたのはエスカルゴとアスパラガス(?)の二品だけ。   

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      下から見上げるサン・ミゲル聖堂。ロンバルディア帯のある古い石段を登って行く。 

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  ファザード扉口の彫刻。ファザード壁面全体に彫刻がありどれも名品。扉口右手の壁にある「3人のマリアの聖墳墓詣で」は有名。 

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  扉口の壁の両側にある4人の聖人像(これは左側のもの)はその柔和な表情がいい。   

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 小さな柱頭彫刻 ① (羽根のある動物の後には顔が半分) ファザード中央には扉口あり、壁の両側にはロマネスク窓がある。その縦に細長い窓の支柱の彫刻もいい。  

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              小さな柱頭彫刻 ② (3者三様の表情が面白い)  

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         小さな柱頭彫刻 ③ 騎士像(男性なのだろう) 

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小さな柱頭彫刻 ④ (山羊に噛みつくのが、2匹の動物か双頭の怪物かわからないように作ってある。)  

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         エガ川にかかる中世の橋。遠くに見えるのはサン・ミゲル聖堂。  

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中世の橋を渡って、近くの丘に上がって行くと12世紀の旧王立礼拝堂がある。 現在はナバラ地方のロマネスク情報センターになっている。鐘楼と扉口の装飾は後世のもの。 

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       単身廊のシンプルな造りだが、村の礼拝堂には見られない重厚感がある。   

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           正式名称はサンタ・マリア・ユス・デル・カスティーリョだったらしい。   

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       装飾のない交差ヴォールトのみで造られた天井の曲線は美しい。    

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 後世の改造がほぼ見られない堂内は、ロマネスク建築のよさを知ることができる格好の場所である。 内陣の下部に少し光って見えるのは、ナバラ地方のロマネスクを紹介する液晶パネル。 

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 さすがにここではガイドブックに載っていないような場所を紹介している。 これは液晶パネルに表示されたガソラス村のロマネスク。 

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 旧王立礼拝堂の近くにあるサント・ドミンゴ修道院聖堂跡  旧王立礼拝堂は再整備して活用されていたが、修道院は閉鎖されていた。画像は付属聖堂の部分。 

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          これも付属聖堂の部分、半ば廃墟だった。  

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   巨大なサント・ドミンゴ修道院聖堂(13世紀創建) 付属聖堂は右側部分。 

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  付属聖堂の草地にいた馬。 馬が美しい動物ということもあるが、郊外の草地に馬がのんびり遊んでいる風景が日本ではめずらしいことなので。 

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          旧王立礼拝堂付近から見たサン・ミゲル聖堂。   

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エステーリャ:サン・ペドロ聖堂と旧ナバラ王宮

                              2014年5月30日


 
 プエンテ・ラ・レイナからエステーリャ(エステージャ)への移動は歩きではなくバスにした。20キロ程度なので普通に歩く距離なのだが、昨夕、頭にけがをしている。頭頂部の擦過傷なのだがかなり出血した。周囲にいた人々が心配して病院へ連れて行ってくれた(車で)。出血のわりに傷が深くないことは自覚していたが、医師の診断もその通りで止血と傷口の消毒だけだった。  健康保険証の提示を求められたが持参していないと言うと治療費は請求されなかった(海外旅行保険には加入していたのだがそれは聞かれなかった)。町の人々の親切に助けられた。というのも、スペインやフランスでは医院や診療所が町のどこにあるか、まずわからない、目立つのは薬局だけ。医療制度の違いなのだろうが。
 この日から数日、長距離を歩かないことを心がけた。可能性は低いと思ったが頭に汗をかいて傷が化膿することを恐れたのだ、汗臭くなると思ったがシャワーも頭だけは避けた。傷口に触らず、頭に汗もかかず、水もかけないということで、傷は自然治癒した。
 「ミシュラン・グリーン・ガイド スペイン」を開くと、『小町娘エステーリャ(Estella la Bella)--中世、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼者たちは、この町をこう呼んだ』として、エステーリャが巡礼者の主要かつ魅力的な宿場町だったことを伝えている。
 幸いというべきか、町は近代の工業的発展から取り残されたため、中世の遺産が良く残っている。
ミシュラン・ガイドに載っているのは、旧ナバラ王宮、サン・ペドロ・デ・ラ・ルア聖堂、サン・ミゲル聖堂、サント・セプルクロ(聖墳墓)聖堂だが、あと一つ加えるとすれば、旧ユダヤ人地区にある旧王立礼拝堂だろう。
 どうも私の旅は、気に入った場所は何度訪れても飽きない、という傾向があるようだ。上にあげた旧跡は、ブログ内検索するとどれも出てくる。それでも2014年の旅は、その時でなければ見れないものを見ているはず。そんな気持ちでエステーリャを巡ってみよう。  


    
 サン・ペドロ・デ・ラ・ルア聖堂 扉口 旧王宮の南側、長い石段を登った先にある。扉口は尖頭アーチで、内側はムデハル風の花弁文様。わずらわしくない程度に彫刻が配されている。 

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          サン・ペドロ聖堂 扉口 左側柱頭付近。 

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          サン・ペドロ聖堂 扉口 右側柱頭付近。                  

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  サン・ペドロ聖堂の南側の高台に付属の回廊がある。 近年修復されて美しくなっているが、とくに案内板もないので見落とす人があるかもしれないが必見。 

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 案内では聖堂・回廊の建設期を12~13世紀としているが、バラ窓の存在など13世紀を中心に建設されたと思われる。   

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 本来4面あった回廊のうち2面は、16世紀、隣の城を爆破したとき失われている。 手前が西面、向こうが北面、この2面に回廊彫刻が残る。 

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北面の物語性のある彫刻。キリストと聖ロレンソ、聖アンデレ、聖ペドロの生涯を主題とする。  これは「聖アンデレの十字架」か。ヨーロッパの国旗に+印のものがあるがあれは十字架を、×印のものもあるがそれは聖アンデレ(セント・アンドリュース)の十字架を意味するらしい。 

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  北面の「聖アンデレの十字架」 この主題の彫刻は2つ(3つ?)ある。上のものと異なり登場人物は少なく天使もいる。 

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        北面の彫刻 ③ これも有名な場面だったのだが。 

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     北面の彫刻 ④ 「エッサイの木」にはいろんな図像があるようだが、これもそれか。 

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                  北面の彫刻 ⑤   

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  西面の彫刻 ここには人・鳥・動物・植物を組み合わせ、パターン化した柱頭彫刻が十数個あるのだが、ブログ内検索で見れるので一個だけ。 

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 サン・ペドロ聖堂回廊の柱頭彫刻の無い回廊や四隅には、古い彫刻などが置かれている。おそらく16世紀に壊れた回廊の残像物だと思う。 不思議な彫刻。足はあるが頭部はない。 

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                石の台座を下から支える怪物。   

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 旧ナバラ王宮(現在は近現代の作品を展示する美術館) パンプローナを首都とする王国は、時代によって各地に王宮を持っていたようだ。 

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      王宮の二階部分の窓の支柱には柱頭彫刻が、また軒下には持ち送り彫刻がある。     

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  窓の支柱の柱頭彫刻を一つだけ(これもブログ内検索で見れるので)。 作風はサン・ペドロ聖堂回廊彫刻の西面と同じ。 

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    旧王宮独自の個性的彫刻は、建物の南面かどの付け柱の柱頭にある「地獄の釜茹で図」 ①  

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                   「地獄の釜茹で図」 ②   

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    街中を流れるエガ川。旧市街は川の両岸に発達した。 奥にロマネスク橋も見える。 

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エウナテからプエンテ・ラ・レイナ へ

                              2014年5月29日

 
 エウナテのサンタ・マリア聖堂で、私が興味を持つ彫刻群がある。小さな彫刻なので訪れる多くの人が眼をとめるわけではないが。
 この聖堂には二つの扉口がある。八角形の壁体は重いドーム型天井の負荷を支える役割を果たしているため、半円アーチの扉口は小さい。一つは通用口として現在も使われ、もう一つは閉鎖されている。その閉鎖されている扉口の一番外側のアーキヴォルトにだけ彫刻がある。その彫刻が人とも動物ともつかない妖怪なのである。
 ロマネスク彫刻には、このようなハイブリッドの彫刻はよくあるが、それが魔界の存在のような雰囲気を出しているところが、このアーキヴォルト彫刻のいいところ。
 さて、エウナテ見学を終えオノバスを経由してプエンテ・ラ・レイナへ。ここは中世のころ巡礼路の合流点だった町で、新しい建物は少なく、古い時代の面影をよく残している。
 町の入口にはクルシフィホ修道院聖堂、巡礼路右手の聖堂の建物と巡礼路左手の修道院の建物が道をまたいで門のようにアーチでつながっている。クルシフィホとは十字架(クロス)の意味らしく聖堂内にはキリストの磔刑像が安置されている。14世紀の建築なので基本ゴシックだが、ロマネスクの聖堂がベースになっており、後陣部分はロマネスクがそののまま残り、ここに「持ち送り彫刻」がある。
 旧市街の中心部を抜ける巡礼路をそのまま行くと、右手にロマネスクのサンティアゴ聖堂がある。ロマネスク聖堂によくみられる後世の改造が加わっているが、ファザード扉口周辺の彫刻は見ごたえがある。
 旧市街が途切れたところにアルガ川にかかるロマネスク橋「女王の橋」がある、これも美しい。多分、プエンテ・ラ・レイナの第一の観光名所は、この「女王の橋」だと思う。



   サンタ・マリア聖堂の閉鎖されている扉口付近。 内側のアーキヴォルトには彫刻がない(石の色が違うところをみると、後世修復されたものか)。見えにくいが一番外側のアーキヴォルトに以下の小彫刻が並んでいる。 

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                    扉口の小彫刻  ①  

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                扉口の小彫刻  ②  

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                 扉口の小彫刻  ③  

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                 扉口の小彫刻  ④   

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                  扉口の小彫刻  ⑤   

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                   扉口の小彫刻  ⑥  

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                  扉口の小彫刻  ⑦  

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                  扉口の小彫刻  ⑧   

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                   扉口の小彫刻 ⑨  

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 聖堂の名の通り、聖マリアの母子像が安置されている。 ただし、確か古いものは盗難にあっているのでこれはレプリカ。 

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          堂内はわずかな光が射し込む薄暗い石のドーム空間。   

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 天井は周囲の壁からリヴ・ヴォールトが交差してドーム(円蓋)を造っている。 ヴォールトの間隔は均等ではない、つまり建物は正八角形ではない。明り取りの天窓もヴォールトの間隔によって形が違う。 

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       堂内の柱頭彫刻 他にも興味深い図像があったのだが、何しろ堂内が暗い。 

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   4キロ歩いて、ここはプエンテ・ラ・レイナ。サンティアゴ聖堂ファザード扉口。   

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               ファザード扉口・左側の彫刻群。  

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                ファザード扉口・右側の彫刻群。   

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 これもファザード扉口・右側の彫刻。 上の画像右端にわずかに写っているものを正面から。
 


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 町の入口にあるクルシフィホ修道院聖堂の案内板。 実はクルシフィホ横の石段(わずか4段ほど)を、カメラを構えて後ろ向きで降りて、つまずいて転んでけがをしたので撮影は中断した。若くはないのだから、石段を降りることとカメラを構えることを分けて行うべきだった。 

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          クルシフィホ修道院聖堂に残るロマネスクの持ち送り彫刻 ①   

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          クルシフィホ修道院聖堂に残るロマネスクの持ち送り彫刻 ②   

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           アルガ川にかかる「女王の橋」 30日早朝 撮影。 

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プロフィール

翁岳(おきなだけ)

Author:翁岳(おきなだけ)
若い頃、1970年から数年間屋久島の山に登っていた。現在はリタイアの年金生活者。ここのところ、毎年、主にスペインを巡り、ロマネスクの彫刻・建築を見ることを楽しみにしている。趣味:テニス、陶芸、ヨガ、素潜り。

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